夢に年齢は関係ない。忘れられなかった音楽への想いを再び。(会社員/男性)
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1961年生まれ、大分県出身。14歳からギターを握り、学生時代はプロを目指して活動するも家業を継ぐことを決意し、一度音楽からは離れる。働き盛りの中、新たな目標を見出すため再び音楽の世界へ。今も、各地でのライブ活動やYouTubeでの配信など精力的に活動している。
インタビュー概要 / まえがき
ミュージックプラネットに参加したアーティストの、個性に迫る特集インタビュー。今回は、地元大分を拠点に精力的に活動する、由見伸幸さんの背景に迫ります。
質問1:音楽の原体験を教えてください!
幼い頃、近所に住んでいた叔父にレコードをよく聞かせてもらっていて、聴かないと寝られないぐらい生活の一部になっていました。自分でやりたいと思うようになったのは、11歳の頃ですかね。『チューリップ』を聴いて、やろうと思って。従兄弟の家にギターがあったんですよ。それを貸してもらって、本を買って練習しました。
それから、高校の文化祭で初ライブをして。とにかく、一生懸命でした。女性にモテたいという理由で音楽を始める人は多いけど、僕の場合は、「とにかく音楽をやりたい」「プロになりたい」という思いが強かったです。
質問2:音楽から一度離れたと伺ったのですが・・・
そうですね。高校の時にはオーディションも受けたりして。ただ、実家が農家でしたし、都会に行く勇気もなかったんです。それでも、20歳まではギターを続けてました。とはいえ、ギター1本で勝負するのはやっぱり怖いですよね。だから、音楽で食べていくという夢は、一度別の目標にチェンジしました。
音楽はやりたかったですが、家業の農業に専念することを決意しました。それから全力で農業に打ち込んだんですが、紆余曲折あって38歳で辞めました。そこから、2年間くらい喫茶店を経営して、その後は建設会社に就職して…。一生懸命仕事をしてきましたけど、生きがいとか目標は徐々に薄れてしまいました。
質問3:ミュージックプラネットに参加したきっかけを教えてください!
どこまで行っても音楽のことは忘れられなくて、40歳を過ぎて自分なりに活動するようになりました。その中で、CDを自主制作したんです。ただ、知り合い以外の方に買っていただくのもなかなか難しい。だから、アプローチを変えようと思いました。節目節目で音楽をやめようと思うことはありましたが、ミュージックプラネットのディレクターとお話をする中で、新しい道を示していただいたように思います。
その頃、映画の「鬼滅の刃 無限列車編」に衝撃を受けて、映画館に6回足を運びました(笑)。 映画自体の面白さはもちろんですが、主題歌であるLiSAさんの『炎』が映画の世界観にマッチしているというか、タイアップに憧れたんですよね。『炎』の作曲者の梶浦さんにメールも送りました。もちろん返事は来ませんでしたけど(笑)。
質問4:ミュージックプラネットに参加してから心境の変化はありましたか?
まず、ミュージシャンとしての自信がつきました。歌手には、免許とか資格ってないですよね。だからこそ、自称ミュージシャンにはなりたくないという気持ちがあって。たった一人でも、自分の音楽が好きだと言ってくれる人がいて、支持されてこそのミュージシャン。
ミュージックプラネットを通して、一生懸命もがいている姿を音楽仲間にも褒められましたし、もうちょっとやれるなという気持ちが生まれました。僕はもう還暦を過ぎてますが、年齢なんて関係ないんだと。
質問5:今後の活動について教えてください!
ライブも月イチでやりたいですし、オリジナル楽曲を披露する機会を増やしていきたいと思っています。あと、YouTubeも精力的にやっていきたいな。まだまだ、やりたいことはいっぱいあるので、一人でも多くの方に聴いてもらえるようにこれからも頑張っていきたいと思います。
ミュージックプラネットスタッフからのメッセージ
一度離れた音楽に、再び踏み出した由見伸幸さん。「年齢なんて関係ない」と精力的に活動を進めている姿が素敵です!
引き続き、ミュージックプラネットは彼の活動を全力でサポートしていきます!