「声は神様からの贈り物」恩師の言葉を胸に、音楽と向き合う日々(会社員/女性)

声優やナレーションなど“声”の仕事を軸に活動しながら、アーティストとしても活躍するマルチな表現者。ゴスペル歌手・亀渕友香さんとの出会いをきっかけに、かつてはコンプレックスだった自身の声を武器へと変えてきました。現在は、MRI検査技師助手や心理カウンセラーとしても活動中。人の心に寄り添う声で、多方面からメッセージを届け続けています。
PROLOG
インタビュー概要 / まえがき
ミュージックプラネットに参加したアーティストの、個性に迫る特集インタビュー。今回は、恩師・亀渕友香さんの言葉を胸に、コンプレックスに感じていた自身の声と向き合いながら音楽活動を続ける山内僑子さんの背景に迫ります。
質問1:音楽の原体験を教えてください!
恩師であるゴスペル歌手の亀渕友香先生から「僑子の声は、人の気持ちに寄り添い哀愁を漂わせ相手の心を震わせる歌声」だと言っていただいたんです。その言葉を信じて、コンプレックスを持っていた自分の声を受け入れ、愛して、逆に武器にしたいと思ったのがきっかけです。
質問2:恩師の亀渕友香さんとはどのような出会いでしたか?
もともと声が特徴的だと言われることが多かったのですが、普通の高校に通っていました。その環境があまり合わなくて…。そんな時、文化祭に来ていた東放学園の校長先生に「うちに来ないか?」って声をかけていただいたんです。それがきっかけで転入を決めました。最初はなんとなく声のことをやってみようかな、くらいの気持ちでした。
そんなある日、西城秀樹さんの振付師の方に紹介されたのが亀渕友香先生でした。当時の私は前に出るのが苦手で、なるべく目立たないようにしてたんですけど、先生は本当にスパルタで(笑)。ライブにも引っ張り出されて、たくさん鍛えられました。昔から自分の声をコンプレックスに感じていたので、すぐに自分の声が「強みだ」と思えたわけではありません。ですが、先生との出会いがなければ、今の私はいなかったと思います。本当にご縁の力って大きいなと感じています。
質問3:歌手活動に興味を持ったきっかけを教えてください!
以前から活動自体は行っていたのですが、恩師である亀渕友香先生が亡くなられたことをきっかけに、一度音楽から離れていた時期がありました。ただ、先生が旅立たれる前にかけてくださった「最後の弟子」という言葉が、時間が経つにつれて何度も思い出されて。その言葉と、先生の想いを無駄にしたくないという気持ちが少しずつ自分を奮い立たせてくれて、もう一度音楽に向き合う決意をしました。今でも、先生は私の心の中にいて、いつも一緒にステージに立っている感覚があります。
私にとってステージは自分の心に正直になれる場所で、「今自分が本当にやりたいことは何なのか」「自分らしさとは何か」を問いかけてくれる大切な場所です。そして同時に、やりたいことに向かって真っ直ぐ挑戦していたあの気持ちを思い出させてくれる、力を与えてくれる場所でもあります。
質問4:ミュージックプラネットとはどのように出会いましたか?
亀渕友香先生が亡くなられて、私が歌も声優もやめると言っている時に「こういうのがあるからやってみたら?」と知人に紹介されたのがきっかけです。
正直、最初はどんなプロジェクトなのか全く想像がつきませんでした。不安も心配もありましたが、いざ曲作りに入ってみると皆さんとても親身になってお力添えいただけました。不安や心配もなくなり、とことん曲に向き合えたと思います。
質問5:オリジナル楽曲「涙」に込めた想いを教えてください!
「声は神様から送られた宝物」「唯一無二の存在」と恩師の亀渕友香先生から頂いた言葉。
ずっと自分の身体と付き合っていくのに自分を愛せないのは、すごく辛いし、悲しいことだと思うんです。だからこそ、そうならないように先生から頂いた言葉を常に胸に刻んで生きています。時間はかかるかもしれませんが、「今まで散々嫌な思いをしてきた過去を全て許そう、受け入れよう」「コンプレックスに負けずに愛していこう」「前を向いて笑顔で進んでいこう」と先生を思い作った曲です。
質問6:今後の目標についてお伺いさせてください!
120%の努力の蓄積が、未来の自分を救ってくれると思うから、私はこれからも音楽と向き合って努力し続けたいと思います。バンドメンバーとの絆を大切に、ライブに出演したりオーディションなどを受けながら、オリジナル楽曲を通して自分のカラーをきちんと見つけたいです。
ミュージックプラネットスタッフからのメッセージ
コンプレックスに感じていた自身の声と向き合い、音楽活動を続ける姿勢がとても素敵です!そんな彼女であれば、音楽を通して多くの人の心を動かすのではないでしょうか。
引き続き、ミュージックプラネットは彼女の活動を全力でサポートしていきます!